私が初めて外資系金融で働き始めたのはCitigroup Service Japanという会社で、その頃はアジアのヘッドクオーターが日本にあり、テクノロジの組織だけで300人以上の人たちで構成されていました。社内の公用語は英語、テクノロジソリューションは全て内製化、社員の60−70%は優秀な外国人エンジニアで構成され、最高のソリューションを自社に提供するために皆で刺激し合って働いていたことを今でも記憶しています。
CitigroupからJ.P.Morgan、RBC Capital Markets、Bank of Americaと転職を重ねて自身のキャリアを向上させていく中、ヘッドクオーターが香港、シンガポールへと移動し、日本のプレゼンスも少しずつ薄れてきたように思います。
組織体制も国内からグローバルに移行され、APACではインドを含むアジアの各拠点に基幹システムをサポートするチームが点在し、それぞれの国で必要なビジネス要件をグローバルチームと協力してアジャイルにプロジェクトを推進していく方向へと切り替わりました。
失われた30年という言葉を耳にしますが、その間、日本はこれらの外資系企業が社員に対して発信し続けたきたキーワードを数年遅れで追随してきたように思います。
フィンテック、リーダーシップ、アジャイル、モデナイゼーション、デジタルトランスフォーメーション、働き方改革、雇用の流動性など、これらは何も新しい言葉ではなく、既に試行錯誤を繰り返し、既に何年も運用されてきた実績があります。
働き方改革などは20年前から当たり前のようにありましたし、人を資本とした流動性のある雇用形態も、外資系企業をターゲットとしたヘッドハンターにより毎月のように人が入れ替わり、組織体制も3−5年ごとに一度ゼロに戻して作り変えることもよくありました。そのような環境において自身のキャリアプランをどのように描くか、次のポジションを獲得するために必要なスキルセットは何か?また、自分の価値をどのようにすれば最大化できるかについてずっと考えてきたように思います。
今、社会全体が集団から個人へシフトチェンジしていく時期を迎えており、より自分の価値と直面する必要性が出てきました。自身を一つの金融アセットとして捉えた場合、そのバリューをどのような形で社会に還元することができるかについて一人一人が向き合うことが重要となります。
このような時代の節目に自分が存在していることは、素直に嬉しくも思いますし、同時に少しでも自分が経験してきたことを社会に還元することが出来ればと考えています。
より多くの人と、より多くの体験をし、より多くの学びの中から面白いことが出来ることを人生のプロジェクトとして考えていますので、よろしくお願いします。
これから始めます